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2019年03月19日

江戸時代の食事レシピや回数・食事の時間|庶民/百姓/旅籠

みなさんは、江戸時代にはどんな食事をしていたかしていますか。江戸時代は身分制度があったため、庶民や武家、将軍など身分によっても食べているものが違っており、その食事には特徴がありました。そんな食事の特徴を当時の食事のレシピなどを紹介しているので見てみてください。

江戸時代の食事レシピや回数・食事の時間|庶民/百姓/旅籠

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江戸時代とは

江戸時代とは、徳川家康が1603年に征夷大将軍に任命されてから1868年に徳川慶喜が大政奉還をした265年の期間のことを言い、そのときの中心である幕府が、置かれていた場所が江戸になります。この幕府のことを江戸幕府と言ったり、徳川将軍家が統治していたことから、徳川幕府と呼んでいました。

江戸時代は、日本史の中でも安土桃山時代に続き長い時代になります。江戸時代は、町民が発展させた庶民文化ともいえ、古今和歌集に代表されるような文芸文化においても、江戸時代の作品には、大衆的な物が多く見られます。

その反対に、貴族階級などの間でしか流行っていなかった文化芸術が一般庶民にも広がり、そのことで文化が発展したのが特徴になります。演芸においても能や狂言などから、浄瑠璃や歌舞伎などに発展しました。

江戸時代の食事・レシピ

江戸時代の人々は、どのような食べ物を食べて生活をしていたのでしょうか。 江戸時代には、士農工商の身分制度により、収入格差がありました。身分による違いは、食生活にも出ています。その違いを、農民・町人・商人・武家・旅籠・将軍の身分別などで紹介します。

農民

昔から農民は、変わらず米などを作り生計をたてていました。ところが、江戸時代の農民の多くが、自分たちが作った白米を食べることは、かないませんでした。どんなにお米を作っても、江戸時代は現代のような技術が発展していなかったために、お米を大量に収穫できませんでした。

このため、取れたお米で年貢を納めてしまうと、自家用で食べられるお米は残りませんでした。農民が白米を食べることができるのは、お祭りなどのイベントのときのみになります。

そんな農民たちが主食として食べていたのが、かて飯と呼ばれているご飯になります。かて飯とは、いまで言う混ぜご飯になります。少ないお米に稗やアワなどの雑穀や大根、里芋の茎を干した芋がら、サツマイモなどの野菜を刻んで入れ、炊いたご飯になります。

町人

江戸時代は、グルメだという話しもありますが、それはあくまでも金持ちだけの話で、庶民の食卓におかずがのぼること自体が珍しい時代でした。しかし、同じ貧乏でも農村地帯の農民と、食生活で違うところがあります。

その違いが、お米になります。江戸は、全国から年貢米などのお米がたくさん集まってきます。長屋住まいの庶民でも、よほどの貧乏人でない限り白米を食べることができました。このため、白米に憧れる農民とは違い、毎食のメニューの中に、ごはんが入っており、ご飯を毎食食べられるのが江戸の住人の自慢でした。

食事内容は、朝食は熱々のご飯と味噌汁、昼食は冷や飯と、おかずは野菜か魚などを食べ、夕食は、お茶漬けと漬物などになり、昼食に重点を置き食事をしていました。この内容では、食事量が少ないように感じますが、江戸の住人は、ひと家族で1日5合の白米を消費しており、摂取カロリーの大半を白米で取っていました。

白米のデメリット

江戸の住民の自慢は、白米をお腹いっぱい食べられることでしたが、そのことでデメリットもありました。白米を食べ過ぎになることで、江戸で流行ったのが脚気です。脚気とは、ビタミンB1不足によって起こる病気になり、足のしびれなどの症状がでます。

同じお米でも玄米には、胚芽部分にビタミンB1が含まれていますが、それを精米する白米には含まれていません。江戸の人々のエネルギーの大半が白米から摂取しているので、そのことが発病する原因になっています。

このため、江戸の住民は脚気で苦しむ人が多くいましたが、江戸を離れて養生などをすると、白米ばかり食べていた江戸の人が、主食が白米から玄米・麦・雑穀などを食べることが多くなり、いつの間にか脚気が治っていました。このため、当時は脚気のことを江戸わずらいと呼んでいました。

大商人

大商人(おおあきんど)とは、大資本を有し、大規模の商売を手広く営んでいる商人のことになります。日本の三大商人といえば、大阪商人・伊勢商人・近江商人と言われており、大商人いえば、廻船問屋、掛屋・米問屋、両替商、材木問屋、呉服商、薬種問屋などの業種が多かったです。

大商人の食事のメニューを例として紹介します。朝食は、炊きたてのお米、小松菜のみそ汁、たくあんです。昼食は、冷やご飯、豆腐を調味料と葛で煮た八杯豆腐です。夕飯は冷やご飯、コハダと大根の煮付けなどを食べていました。紹介したメニューは、江戸時代の当時では、一般の庶民から見れば、とても豪華な食事メニューになります。

肌寒い夜の肴は八杯豆腐

大商人などが、食べることができた八杯豆腐とは、豆腐を拍子木切りにし、調味料の入っただし汁で煮て、とろみを付けた物の上にお好みで大根おろしなどを添えた食べ物になります。豆腐を煮るための煮汁(だし汁・酒・醤油)の割合が6:1:1で合計すると8になるので、八杯豆腐と名前が付いています。

温かい、おつゆのある料理が恋しくなる冬にはうってつけのご飯になり、とろみがつくことで急激に冷めるのも防ぐことができます。このときに使う豆腐は、木綿でも絹ごしでも好きな方を選んでかまいません。

丁稚の食生活は?

大商人の商家には、丁稚奉公と呼ばれる奉公人が小さい子どもから大人まで、たくさんの奉公人がいました。その方々は、どのような食事を食べていたのでしょうか。

例として食事メニューを紹介します。朝は毎日みそ汁のみ、昼は安い日に限って魚がつき、夜は漬物だけだといわれております。そんな、住み込みで働く丁稚たちにとっての楽しみは、商用で外出したとに食べることができた、外食のそばや寿司などになります。そんな、外食をすることは丁稚達には、すごい贅沢なできごとで楽しみにしているイベントでした。

武家

江戸時代の武士は、幕府や藩に勤めてお給金を貰って生活をしていました。ですが、武士にもたくさんの階級があり、下級武士の給金は江戸の一般庶民の収入とあまり大差がないのに、武士としての決まりが多いために、生活は大変困窮していたため食事は大変質素でした。

武士のほとんどが、給金だけでは生活が成り立たなく、多くが大名屋敷内に自作の菜園を持っており、その家庭菜園で野菜を育てて食していました。毎日のおかずは、自分たちで作った野菜と古漬けのたくあんを食べ、月に数日だけ魚を食べることができました。

旅籠

旅籠(はたご)とは、いまでいうところの旅館や宿泊施設のことです。もちろん、泊まる場所のランクにより食事のメニューに違いはあるのでしょうが、一汁三菜で食事を提供してくれる旅籠のメニューは、今の食事の感覚では質素に感じますが、江戸時代の食事事情から見ると大変なご馳走でした。

では、旅籠では実際にどんな食事メニューが出ていたのか紹介します。膳の上には、飯椀、汁椀、皿は魚1尾、平椀には煮物、香の物の小皿になっています。旅籠の朝食はとても簡単なものになり、魚などは付きません。なので、この食事メニューは夕食になります。その他にも、京都の旅籠では、さわらの煮付、平椀には百合根・ゆば・椎茸の煮物の食事内容だったこともありました。

将軍

江戸時代の将軍の朝食の時間は、朝の8時と決まっており、将軍のプライベート空間である中奥でひとりでとります。そんな、将軍の食事のメニューは、一の膳は、ごはん・汁物・刺身か酢の物の向付(むこうづけ)・煮物になります。

二の膳が、お吸い物(汁物)・鱚の塩焼き(焼き物)になっていす。つまり、将軍の食事は二汁三菜が基本になっており、昼食と夕食は、朝食のメニューにおかずが少しだけ増えます。

やはり、江戸時代の将軍となれば、庶民などの食事と比べるとすごく豪華に感じます。ですが、その食事は冷えた頃にしか食べることができませんでした。その理由は、台所と食事をする場所が遠いのもありますが、なにより毒味をする回数がおおく、その間に食事は冷えていきます。

一説には将軍の口に食事が入るまでに2時間近くかかるとも言われています。もし、その間に温めなおしていたとしても、それを考えると決して美味しいとは言えません。

タブーな食材・日

しきたりの多いのが武家ですが、将軍の食事に関するタブーはたくさんあり、NGで食べてはいけない食材もたくさんあります。今回は少し紹介します。

・ネギ:将軍は、臭いが強いからという理由で食べることができませんでした。同じ理由から、にんにく・らっきょ・ニラも食べることのできない食材です。

・まぐろ:白身魚が最上とされていた江戸時代には、脂の多いまぐろは下魚とされており、将軍は食べることができず、江戸時代には、庶民の方がよく食べていた魚です。その他にも、さんま・ふぐ・どじょうも食べられない食材でした。

・牛馬などの肉:農作業に欠かせない動物のため食べてはダメでしたが、鳥肉はわりとポピュラーな食材で、将軍も食事に取り入れていました。特に将軍家でよく食べられていたのは、鶴肉になります。

・忌日(きにち):将軍家には忌日が多く、忌日は精進日となるので月の大半が魚も酒も禁止となっていました。

大奥

江戸時代のファーストレディーでもある正室の御台所や、側室はどのような食事をしていたのでしょうか。詳しく紹介していきます。

御台所の朝食時間は、将軍と同じく朝8時からになります。大奥の食事のメニューの例ですが、内容は一の膳がごはん・汁物・豆腐にだし汁をかけたもの(煮物)・キスの焼き物など(焼き物)・蒲鉾(口取り)・胡桃の寄せ物・昆布、鯛の切り身などを3種類好きなものが選べます。二の膳は、汁物(具は豆腐や卵など)、焼き物(魚など)、香の物になっています。

将軍に比べると、食事の種類も多く楽しそうな食事メニューになっており、頼めばお世話係である御中老が魚の身もほぐしてくれました。その他にも、御外の物といって御台所などが、好きなものをリクエストして食事に反映してもらうこともできました。ですが、大奥の食事作法は、一般と違いとても細かく厳しいため食事をとるのも一苦労でした。

江戸時代の食事の回数

私たち現代人の一般的な食事回数と言えば1日3食になりますが、この食習慣が定着したのは、江戸時代中期頃である元禄辺りだと言われています。その広がった要因の1つが、江戸時代に起き江戸市街の大部分を焼き払った、明暦の大火に原因があります。

明暦の大火後では、家財道具をはじめたくさんの物が焼けました。街を復興させるためにも、これらの家財道具をはじめとするいろいろな道具を供給する必要があります。そのため、職人が多い江戸の町民は忙しくなり、夜間も働くようになりました。そのときに明かりが使われたことで、1日の活動時間がいままでよりも延びました。

そのため、今までの2食では足りなく、食事をとる回数を増やす必要があったため、食事回数が増えました。

忙しさが落ち着いた後でも、その習慣が残り食事の回数は3回が基本になりましたが、江戸時代の将軍の中には、ストイックに食事の回数を増やさず2回を貫いた方もいました。

江戸時代の食事の再現レシピ

今回、紹介する江戸時代に食べられていた食事のレシピを紹介します。今回紹介するのは「高野豆腐のオランダ煮」です。このオランダ煮は、江戸時代にオランダから長崎に伝わってきている料理になります。皆さんもぜひ作ってみてください。

江戸時代の食事で肉は食べる?

江戸時代には、どんなお肉を好んで食べていたのでしょうか。実は、江戸時代は牛肉などのお肉を食べることなく、タンパク源は魚や豆類に頼っていました。特に牛馬は、農耕用の家畜だったため、禁忌とされており将軍でさえも鶏肉(鶴)しか食べなかったと言われており、牛肉は入手が困難でした。また江戸時代は、血抜きの技術も未熟なため臭み酷く、肉も非常に硬かったと言われています。

ですが、それはあくまで表向きのことで、猪肉を山のクジラと隠語を使い提供し食していました。今でも猪肉をボタン、鹿肉もみじと言うのも江戸時代の隠語のなごりになります。

その他にも、牛肉を味噌漬けにしたものを養生薬だと呼び、禁忌だった牛肉を食べたりなどもしていました。他の肉よりもよく食べられていたのが、鳩・鴨・雁、雉・鷺(さぎ)・雀などのとり肉になり、逆に鶏は夜明けを教える神聖な鳥と崇められていたため食べることが禁じられていました。

江戸時代の食事時間

現在の日本では、定時法で時間を表していますが、江戸時代の時間は、不定時法が採用されていました。不定時法とは、日の出から日没までの半日を6分割し、日没から次日の日の出までの間を同じように6分割し、2つを合計した12の時間帯で1日を分ける方法になります。

分割された時間帯のことを一刻(いっとき)と呼んでいました。不定時法は、夏季と冬季では時間の長さが変化するのが特徴になります。

先に江戸時代の時間の話をしましたが、江戸時代の人たちのご飯の時間帯はなん時ごろだったのでしょうか。江戸の庶民のご飯時間は、朝食は7:00(明け六つ)、昼食は12:00(昼九つ)、夕飯は19:00(暮れ六つ)ごろに大体食事をとっていました。

では、江戸時代の将軍の食事時間はなん時頃だったのでしょうか。朝食は8:00(朝五つ)になり、昼食は11:00(四つ半)、夕食は17:00(七つ半)ごろだと言われています。

江戸時代の食事は健康的?

江戸時代の人たちの食事内容は健康にいいのでしょうか。江戸時代の人たちの平均寿命は諸説ありますが、平均30~40歳だと言われており、今の私たちの平均寿命が80歳を大きく超えているので、江戸時代の平均寿命は半分以下だった可能性が高いです。

なぜ江戸時代の食事スタイルは、今と近くなっているのに、平均寿命が短いのでしょうか。まず、江戸時代には、乳児の死亡率が高いことが要因の1つになります。この乳児死亡率が平均寿命の年齢を下げてしまうため、寿命が短いような結果がうまれているのも事実です。その他にも、医療があまり発達していないこと理由になります。

そして、偏った食生活も理由の一つです。江戸時代には、食事回数が増え3回にはなりましたが、そのカロリーのほとんどを白米で賄っています。将軍でさえ、食事のバランスは取れてなく、そのことを含めると、江戸時代で20歳まで生き残れる確率は非常に低かったです。

江戸時代の食事に関する本

江戸の食卓に学ぶ - 江戸庶民の“美味しすぎる”知恵 - (ワニブックスPLUS新書)

江戸時代の食事に関する書籍はたくさんありますが、今回は車浮世さんが書かれている「江戸の食卓に学ぶ」をご紹介します。この本の内容をす少し紹介します。

・江戸時代の、江戸の水では昆布出汁が出にくいため、鰹出汁の文化が発達した。

・醤油は、輸送コストが高価であり、庶民の味付けの基本は、塩と味噌で付けていたため、基本は塩辛かった。

・房総半島で醤油の製造が始まると、庶民の味覚に合わせた、香りが強い濃い口醤油が作られる。

・濃い口醤油の登場まで、食卓に欠かせないのが煎酒という調味料だったが、その後は消滅した。

江戸時代の食文化の雑学などから江戸料理の再現レシピまでをさまざまな視点から紹介しており江戸の食事の奥深い世界を案内します。みなさんもぜひ読んで、江戸時代の雑学などを楽しんでみてください。

読みやすく、思わず自分でも再現したくなる料理と食の文章が秀逸です。

出典: https://www.amazon.co.jp/gp/customer-reviews/R39WDKPCD93O... |

びっくりな江戸時代の食事

江戸時代の食事を紹介してきましたが、現代の食事内容と違いすぎて驚きの連続ではなかったでしょか。そんな江戸時代の食事習慣は、食事回数もそうですが、ひと家族で1日5合のお米を食べていたり、白米の食べ過ぎで脚気が流行っていたことや、タンパク質が魚と豆に頼っていたなど、聞けば聞くほど驚かされることばかりでした。

そんな江戸時代の食事ですが、江戸時代に海外から伝わりってきた「オランダ煮」や、当時食されていた「八杯豆腐」など、今でも伝わり食べ続けられている食べ物のレシピもあります。そんな、江戸時代の食事をときどき作ってみて江戸時代に思いをはせてみるのも楽しみのひとつです。ぜひみなさんも試しに作ってみてください。

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